8月8日から14日まで恒例のいわき夏合宿が行われています。
例年は日中でも27~28℃の気温ですが今年は30℃超える暑さの中、秋の大会に向けて皆さん、元気に稽古に励んでいます。
稽古内容は部員の主体性を重視して、与えられるものでなく自らが考え、実践していく内容で、男女がそれぞれ工夫して行われています。
9日には久しぶりに地福元会長・飯田会長・島田現会長と政所前事務局長の70台OBも参加して現役65名と剣を交えました。
夕食後のミーティングには今年1月に亡くなられ、6月の総会でに追悼式を行いました、故打木城太郎名誉部長のお話をしていただきました。
内容は『打木先生と私』
昭和四十一年卒 地福義文
打木先生と私の出会いは昭和34年に、私が私立城北高校へ進学した時だった。
先生は英語の教師であり、一風変わった先生であった。
進学校の中で旧制高等学校のような手拭いを腰に下げ、生徒に『オッス』と声を掛け、受験勉強というよりは授業は脱線し講談話が多く、校長に睨まれていた先生であった。
学生時代に剣道したらしく、自分の受け持ち教室の生徒に剣道部顧問の先生ではないのに剣道部入部を勧める先生でした。
剣道部に入部していた私は、偶に稽古に来られた先生と剣を交えたが、当時の先生は初段ほどの腕前であり、小手を打つ竹刀が床板を叩き、胴を切ると、相手の腕を切るチャンバラの様な剣道であった。
私が剣道部に入部と同時に剣道部の大先輩の関口先輩が立教大学に入部され、その後、弘光先輩、土田先輩も同じく入学、入部された。
当時は城北高校剣道場と立教大学上板橋剣道場は近く、打木先生はチャンス到来と
ばかりに立教大学剣道場に通いだした次第です。
先生は昭和33年卒の飯塚先輩と同期であると言っておられました。
先生の剣道に対する情熱は大変なもので、立教大学剣道との縁を大切のされ、
剣道修業の場と考えて積極的の稽古に参加されて、どんどん腕を上げられ行きました。
私が昭和37年に立教大学に入学し剣道部に入部の時は、玉井部長先生、中西OB会長、雨宮監督で新人戦、関東大会共に連続3位の剣道部全盛期時代であり、打木先生はOBの様な感じでした。
その先生が不思議なご縁で立教大学文学部教授に就任されることになりました。
必然的に剣道部部長になられ、以来ずっと定年退職されるまでけんどうの面倒を見られてきました。
先生の剣道修行の努力はついに七段ん昇段となり、達人となられましたが、その精神と竹刀は大いに我々を鞭打ち、人間教育の糧となりました。
多くの剣道師からは専門的且つ強い精神力と高度の技術を学び雨宮会長からは良き社会人としての社会人剣道を学び、打木先生からは人間に対する深い愛情を学びましたが
この三つの柱が立教大学の剣道部の伝統であり、宝であると言えます。
その偉大な打木先生の突然の訃報に接し、大いに驚きました。
私たちは先生の大いなる愛情に報いることが出来たかと感じる次第です。
先生のこのような人生の幕の下されたことを考え、打木先生は『剣道三昧』の人生を歩み『人生の達人だったぁ』を感じ入る、今日です。
『喝!!』 『黙祷!!』